
緑十字賞を受賞(1982年9月)
1923年 (T12) | 9月 | 京都に生まれる |
1953年 (S28) | 国鉄労働組合大阪地方本部委員長 | |
1955年 (S30) | 5月 | 国鉄退職、国鉄石山寮委託経営 |
1962年 (S37) | 7月 | ㈱近畿予防医学研究所を設立 |
1967年 (S42) | 4月 | 滋賀県医師会公衆衛生部検診班・事務局設置 |
1969年 (S44) | 10月 | 彦根臨床検査センター開設 |
1970年 (S45) | 8月 | 三重医学検査センター開設 |
1972年 (S47) | 2月 | 登録衛生検査所の認可取得 |
5月 | 大津社屋完成 移転 | |
1973年 (S48) | 4月 | (財)近畿健康管理センターを設立 |
1979年 (S54) | 8月 | 全国臨床検査協会理事 |
1981年 (S56) | 10月 | 登録衛生検査所「三重医学センター」の認可取得 |
1982年 (S57) | 5月 | 日本衛生検査所協会常任理事コンピュータ導入による分析測定から成績発行までのシステム化を確立 |
9月 | 労働衛生推進の功労により緑十字賞受賞 | |
1984年 (S59) | 2月 | 永眠 |
石山寺の墓地に眠る
広田浩三は、今、石山寺の敷地内にある墓地で、永い眠りについている。そこは、浩三が国鉄の労働組合委員長として尽力したあとの職場「石山寮」にほど近く、四季を通して季節の風景が楽しめる、歴史ある地だ。
2月2日の命日には、社員をはじめ、石山ファミリーの仲間たち、多くの関係者が墓前に手を合わせる。
60年前に、近畿予防医学研究所という検査会社を興し、その後財団も立ち上げ、検査を通して働く者の健康の維持・増進に寄与・貢献した浩三。
移り変わりの早い「今」、60年の足跡に敬意を表しながら歩むすべての社員、関係者は、心から感謝の言葉を述べ、深く頭を下げている――。

